びわ中の「びわ」の由来

びわ中の「びわ」という名称の変遷と、由来となる「琵琶湖」の呼称の歴史について

1、14世紀以前の呼び名

びわ中の「びわ」のもとの意味である「琵琶湖」の名前についてです。まず、「琵琶湖」と呼ばれるようになる14世紀以前、この巨大な湖は、都の人々の地理的な感覚や、自然の情景を映し出した様々な名前で呼ばれていました。

  • 近淡海(ちかつあうみ): 奈良や京都の都から見て「最も近くにある淡水の海」を意味します。これが現在の滋賀県の旧国名「近江(おうみ)」の語源となりました。対して、遠く離れた浜名湖周辺は「遠淡海(とおつあうみ)」と呼ばれ、「遠江(とおとうみ)」の語源となっています。

  • 淡海(あわうみ): 単純に「淡水の海」を指す言葉です。

  • 近江の海(おうみのうみ): 近江国にある海という意味で、万葉集などの和歌でもよく詠まれました。

  • 鳰の海(におのうみ): 湖に多く生息していた水鳥の「鳰(カイツブリ)」に由来する、非常に風雅な文学的表現です。

  • 細波(さざなみ)の海: 穏やかで美しい波が立つ様子から呼ばれ、和歌の枕詞としても使われました。

2、文献にみる「琵琶湖」の呼び名のスタート

現在、私たちが使う「琵琶湖」という呼称のスタートは、14世紀初頭(鎌倉時代末期から南北朝時代)にさかのぼります。比叡山延暦寺の学僧・光宗が記した仏教書『渓嵐拾葉集(けいらんしゅうようしゅう)』の中で、「湖の形が楽器の琵琶に似ている」と記されたことが初出とされています。上空からの視点を持たなかった当時の人々がなぜ琵琶の形だと認識したのかについては、比叡山から見下ろした景観からの推測や、竹生島に祀られている弁財天(琵琶を弾く女神)の仏教的な信仰と結びつけられたという説が有力です。

その後、江戸時代に入って測量技術が発達し、伊能忠敬などによる正確な地図が作られるようになると、「実際に琵琶の形をしている」ことが視覚的にも証明され、「琵琶湖」という呼び名が全国的に定着していきました。

3,びわ中学校の名称のスタートと「びわ」の由来

この雄大な琵琶湖の歴史を受け継ぎ誕生したのが、びわ中学校の「びわ」という名前です。

昭和31年(1956年)、「昭和の大合併」の波の中で、現在の長浜市の一部である湖岸の「大郷村」と、竹生島を擁する「竹生村」の二つの村が合併することになりました。

合併に際し、新しい村の名前をどうするかは大きな議論を呼びました。そこで選ばれたのが、両村の目の前に広がる湖にちなんだ「びわ村」でした。

この地域は、古くから湖からの豊富な水で田畑を潤し、アユやフナなどの漁業によって人々の命と生活を繋いできました。「私たちはこれまでも琵琶湖の恩恵を受け、これからも、この母なる湖と共に歩んでいく」。そんな決意と深い感謝の念が新村の名に込められていたのです。漢字の「琵琶」ではなく、あえてひらがなの「びわ」が採用されたことは、画数が多く堅苦しい漢字を避け、誰にでも親しみやすいひらがなにすることで、新しく生まれ変わる村の「平和」や「明るい未来」、そして「二つの村の住民同士が融和する親しみやすい村づくり」への強い願いが託されていたと考えられます。

 戦後の新しい教育制度の中で、スタートした新制中学校についても大郷村立大郷中学校や竹生村立竹生中学校によるスタートから東浅井郡大里村竹生村組合立浅井西中学校などの名称を経て、この合併によるびわ村誕生によってびわ中学校の名称のスタートとなりました。。

 その後、びわ村は昭和46年(1971年)に「びわ町」となり、地域を育んできましたが、平成18年(2006年)の市町村合併により長浜市の一部となりました。自治体としての「びわ町」は地図から姿を消してしまいましたが、その精神は「長浜市立びわ中学校」という名前に今もしっかりと残っています。